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越後屋

Author:越後屋
 アダルト限定のブログです。18歳未満の方は読まないでください。

 官能小説家越後屋と申します。SM変態小説を書いています。書いている本人も立派な変態です。それでもいいと言う方、よろしくお願いします。

『関西発文藝エロチカ』

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私は、作品の中だけでなく、現実でも緊縛を楽しんでいます。ここには、私の緊縛作品を掲載していきます。
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ようやく更新!
 お待たせしました。やっと、更新しました。

『夢魔』シリーズの新作は元アイドル歌手の木下菜々美。
とあるスキャンダルでトップ・アイドルの座から転落し、
今はドサ回りの毎日。そんな彼女の心の隙に、夢魔が入り
込んでいく、という展開。

 三週間ぶりの更新で、読者離れが心配。みんな、読みに
来てくれ!
だめんず・うお~か~(5)
「だめんず」度診断シリーズ、その5。

『役者魂』。

 「だめんず」度診断という企画なんだが、もっと気になることがあるので、先ず、そちらの話から。

『僕と彼女と彼女の生きる道』というドラマが最初だと思うんだが、育児放棄(ネグレクト)した母親が我が子を捨てて、後から
「やっぱり私が育てるから、この子連れていくね」
と言って子どもを連れ去ってめでたしめでたしというドラマ、そんなドラマを垂れ流していて、本当に良いのか? それじゃ、母親が反省しているからと言って子どもを返してやって、結果子どもを虐待死させてしまう児童相談所を追認しているようなものじゃないか。

 昔から言われていることわざがある。
「我が子の可愛くない親は居ない」
 その通りだと思う。どんな親だって、我が子は可愛い。自分の子どもを虐待死させる母親だって、我が子は可愛いに決まっている。

 でもその一方で、一年三百六十五日、四六時中子どもと接していて、可愛いという感情だけで子どもと接していける親も居ない。そして虐待は、子どもを可愛いと思えない時に起こるのだ。

 子どもが可愛いと思えている間は、どんなダメ親でも優しい親で居られる。子どもを可愛いと思えない瞬間にどう接しているかで、親の愛情の深さが分かるんだよね。

 その点、『役者魂』の瞳美ちゃんは申し分無い母親だ。「あんたなんか大嫌い」と言われて、思わずかっとなり、手を振り上げて、でも、そこで躊躇して手を止める。可愛くないっと思った瞬間に、その手を止めることのできるだけの愛情が残っているというのは、母親として実に素晴らしいことだ。

 何度も繰り返すが、子どもが可愛い時間にどれだけ優しくても、その親が本当に優しい親とは言えない。かっとなって、この子、可愛くないっ、と思いながら、心のどこかで我が子を思いやる気持ちを捨て切れない。それが、本来の親の愛情というものだろう。

 子どもを殺してしまう児童相談所の職員は、そういうことが分かっていないんだ。だから、みすみす保護できていた子どもを地獄の家庭に戻して、殺してしまうのだ。

 深く反省して、涙を流して子どもを返してほしいと切々と訴える母親の心。それは真実だ。紛れも無い、真実。

 でも、その真実は、我が子を可愛いと思えている時間だけの真実。一緒に暮らし始めて、また、我が子を可愛くないと思う瞬間が訪れた時、その真実は真実でなくなる。

 例えば、『僕と彼女と彼女の生きる道』が実話だったとしたら、あの母親は、きっとまた凛ちゃんを捨てる。シングル・マザーで子育てを続けることのストレスに耐え切れなくなった時、あの母親はまた同じことを繰り返す。あるいは、もっと悲惨な結果になってしまうかもしれない。

 例えば、『役者魂』が実話だったとしたら、桜子と忠太はもう一度捨てられるだろう。恋多き母親が再び誰かと恋に落ちた時、この母親はまた、二人の子どもよりも恋人を選ぶに違いない。そしてまた、二人を捨てるかもしれないし、もし新しい恋人が二人を虐待し始めた場合、恋人の愛情を繋ぎ止めるために自分から進んで桜子と忠太を虐待し始めるかもしれない。

 この二つのドラマのラストは、そういうラストなのだ。その後の母子が幸せに暮らしていますという展開は、物語の中だから成立するおとぎ話なのだ。

 もし本当にこの母子が幸せになるためには、気長なカウンセリングを受け続けるなどの、それなりの努力が必要なはずなのだ。

『役者魂』のシナリオ・ライター、君塚良一さんは、『踊る大捜査線』で大ブレークし、その後、『チーム』というドラマで少年問題に長期間取り組み、その成果を最終的に『さよなら小津先生』という素晴らしいドラマに結実させた人。その人が、こんな無自覚なドラマを書いてしまったことに、私は落胆している。

 君塚先生、お願いしますよ。

 一応、本題の「だめんず」。経理の相川くん。「だめんず」。自分から里奈ちゃんにアプローチしていきながら、瞳美ちゃんにちょっと思わせぶりな素振りを見せられたとたんに心変わりし、里奈ちゃんから逃げ回る。浮気者だめんずの典型。まあ、ジェットコースター・ドラマのご都合主義が彼のキャラクターをそうさせてしまったということなんだろうけど。

 本能寺先生、「だめんず」。仕事にかまけて家庭を顧みないワーカー・ホリック。というより、家庭に居場所が無いので職場に逃げてるというのが正しい表現かな。昔、阪神大震災の時、自宅が倒壊して路頭に迷っている家族と、あちこちの瓦礫の下に埋まって藻掻いているご近所の人に見向きもせず、歩いて会社まで辿り着こうとした「だめんず」がたくさん居た。それが原因で離婚された人も多いらしい。

 でも、虐待親のシーンが強烈過ぎて、「だめんず」の印象、薄いなあ。今回は、これでお終い。


『役者魂』、「だめんず・うお~か~」度、6。 「だめんず・まざ~」度、10点満点。

だめんず・うお~か~(4)
「だめんず」度診断シリーズ、その4。

『のだめカンタービレ』。

  千秋先輩、彼は典型的なDVタイプの「だめんず」。

 慕って寄ってくる「のだめ」を殴る、蹴る、突き飛ばすの乱暴狼藉、漫画的なシチュエーションの中でつい笑ってしまうが、現実にこんな奴が居たらちょっと引く。

 それでも、「のだめ」相手のうちはまだ良い。勝手に家に上がり込んでやりたい放題されては、怒りたくもなる。

 だが、自分に近付いてきた人間に、反射的に攻撃モードに入る行動パターンは、相手が「のだめ」以外の時も変わらない。好意で話しかけてくれているのに、それはないだろとか、何をされたわけでもない相手にその口の利き方はないだろというシーンが随所にあった。そもそも、この性格の人間が周りの誰もに好かれているというシチュエーションが、冷静に考えてみると理解しがたい。

 全体を通して見ると、これは千秋くんの成長の物語。だから、彼のものの見方も少しずつ変わっていく。周りの人間にも次第に心を許し始め、最後には「のだめ」を愛している自分に気付いたりもする。まあ、そこら辺りが救いと言えば救いだろうか。「だめんず」な自分に気付いて、変わっていくところが。

 でも、根本的なところでは、少しも変わっていない。ある意味、そこはリアルだ。「だめんず・うお~か~」の哀しさは、「だめんず」がいつか変わってくれることを願いながら、結局「だめんず」は「だめんず」のままという点にあるのだから。

 でも、千秋先輩のキャラクターって、暴力的なところをのぞけば、少女漫画の二枚目の典型的なパターンだよな。それも、悪ぶってる二枚目が、ヒロインに心を許し始めて、ちょっと人間的な一面を見せ始めたくらいの頃の、あれ、ちょっと可愛いじゃないかくらいの二枚目キャラの典型のような気がする。

 些細なことで怒り、ヒステリックな話しぶりで文句を言う。それって、本当に人間的なことなんだろうか? 本当にそれが、ヒロインに心を許したということなんだろうか?

 もしかすると、少女漫画家って、基本的に「だめんず・うお~か~」なんじゃなかろうか。少女漫画の恋愛パターンって、基本的に「だめんず・うお~か~」の恋愛心理に支えられているんじゃないだろうか。

 そう仮定してみると、少女漫画的世界観の中で、「のだめカンタービレ」は善戦している方かな。「だめんず」恋愛話の方に引っ張られず、千秋くんの成長物語としての視点を最後まで保っていたところがよかったかな。

 文句を言いながら、このドラマは毎回楽しみに見ていた。そしていつも、こちらの期待を裏切られなかった。できれば、続編か番外編を作ってほしい。お願いします。

『のだめカンタービレ』、「だめんず』度、6。
サーバー・ダウン!
 しばらく滞っていた『越後屋文庫』の新作をアップしようとしたのだが、サーバー・ダウンで更新できない! FC2は時々そういうことがあるとは聞いていたのだが……。

 という訳で、しばらく様子見。楽しみにしていた方、もう少しお待ちを。
だめんず・うお~か~(3)
「だめんず」度診断シリーズ、その3。

『嫌われ松子の一生』

 実は、ドラマの方はほとんど見ていない。裏番組の、『Dr.コトー診療所2006』の方を見ていたので。ということで、今回は原作本の批評。ドラマは違うよという箇所があれば、ご指摘お願いします。

 嫌われ松子は、人のために生きる女。人生の転機があると、自分が何をしたいかではなく、自分は大切な人のために何ができるかを考える女。

 というと、すごく献身的な女と思えるがそうではない。要するに、自分に自信が持てない女。だから、何かを決断する時、自分はどうしたいかを基準に決められない。誰かの思いに引き摺られる形でしか、何かを決められない。

 その結果、松子はその場面場面で、最悪の決断をしていく。そして松子は、どんどん不幸になっていく。

 ある意味、『嫌われ松子の一生』は、だめんず・うお~か~をテーマにした作品と言える。

 にも拘わらず、その「だめんず」度にあまりリアリティーを感じない。

 その理由の一つは、筆者が「だめんず」の資料を集めすぎたことによるのかと思う。

 松子は一言で言って、フランケンシュタインだ。筆者が取材した、様々な女たちの躓きをパッチ・ワークのようにつなげている。

 そして、そのつなぎ目で、少しずつ齟齬がある。それが、全体としての松子のリアリティーを損なうものになってしまっているのだと思う。

 もう一つ、筆者は松子を善意の人として書き、彼女を不幸にしていく男たちの罪を問う。

 確かに、松子の周りの男たちは最低だ。だが、そんな男たちを集めてしまう、松子の「だめんず・うお~か~」の面をしっかり押さえておかないと、単に男運の悪い女で済ませられてしまう可能性もある。

『嫌われ松子の一生』に出てくる男の中で、もっともまともな男は、ソープランドのマネージャー、赤木だ。赤木は職を辞して郷里に帰る時、松子を誘う。一緒に帰らないかと。つまり、俺と一緒にならないかと。

 松子は結局、いかない。ここに、「だめんず・うお~か~」松子の松子らしさが表れている。つまり、男に散々不幸にされながら、自分を不幸にしていく危険な香りがしない男には魅力を感じないのだ。

 でも、作者はそこを掘り下げないんだよね。松子の業の問題を追及してみたら、結構面白かったりするかもしれないのに。

 惜しいよなあ。実に惜しい。

『嫌われ松子の一生』、「だめんず』度、7。
だめんず・うお~か~(2)
「だめんず」度診断シリーズ、その2。

『十四才の母』。

 このお話のストーリーのヒロイン、一之瀬未希ちゃん。この娘はおそらく、だめんず・うお~か~だな。つまり、恋人の桐野くんは「だめんず」だ。

 桐野くんの性格は分裂している。出会ってから結ばれるまでの桐野くんは繊細で優しい子。ところが、未希ちゃんが、自分が妊娠していることに気付いて、桐野くんに相談しようとする辺りから、一転して冷淡で、未希ちゃんの気持ちも推し量れない無神経男に変身する。

 未希ちゃんが桐野くんと別れる決心をして、一人で生きていこうとすると、また、桐野くんは優しい繊細な子に戻る。出産のショックで未希ちゃんが昏睡状態になり、父親に未希に会ってくれ、赤ん坊に会ってくれと頼まれた桐野くんは、また一転して、臆病な卑怯者になって逃げ回る。

 これは、桐野くんを良い人とする、ドラマの設定の中で見るから不自然なのだ。彼を「だめんず」と考えるならば、女性がまだ自分のものでなかったり、自分から逃げようとする時だけ良い人になり、女性が自分の手の中に居る時には横柄になったり、自分勝手になったり、無責任になったりする「だめんず」の行動パターンとして実に自然だ。

 つまり、このシナリオは、良い子桐野くんを描こうとしながら、「だめんず」しか知らないが故につい、場面場面で「だめんず」の行動パターンで書いてしまったものなのだろうと思う。

 そういう矛盾はまだある。未希ちゃんの両親は愛情深い両親のはずなのだが、そうではない場面がいくつかあった。

 母親の場合、学校で娘が喧嘩をして呼び出しを食った時に、まだ詳しい事情も分からないまま、我が子の話を少しも聞かないまま、娘の頭を下げて謝らせてしまった。普通、それはしないだろうと思う。

 父親も、娘が、桐野くんが好きなのだと泣きながら告白した時、詳しいセリフは忘れたが、激しく怒り、そんなのは思い込みだというような内容で、娘の恋愛を全否定してしまう。確かに、我が娘の妊娠を知って動顚していたのだろうが、そういう風に泣かれた時、愛情深い父親なら、ただ立ち尽くすものなのじゃないだろうか。私がこのドラマを書くなら、そうする。

 総じて、このドラマは話の展開と細部がちぐはぐだ。流れとしては、十四才の女の子の妊娠という事実に戸惑いながらも、それを受け入れていく両親と恋人のお話という図式なのだが、細部の展開は、愛情薄い家庭で育ったアダルト・チルドレンの娘が、「だめんず」の男に妊娠させられて未婚の母になったという話に見える。

 もし私の見方が正しかったとすれば、このドラマの「だめんず」度は『僕の歩く道』よりも高い。『僕の歩く道』では、都古ちゃんが「だめんず・うお~か~」であることはある程度意識して書かれているのだが、『十四才の母』では、桐野くんは「だめんず」だ、未希ちゃんは「だめんず・うお~か~」なのだという意識さえ無い。つまり、客観視することもできていない。それだけ、どっぷりと「だめんず・うお~か~」の感覚に浸ってしまっているのだ。

 もしこの物語が十四才の娘の妊娠の物語だとするとクライマックスに置かれるであろう出産シーンは、最終回の二回前で早くも終わってしまった。

 そこで私は予想していた。最終回は、桐野くんが未希ちゃんのところに戻ってきて終わるのではないか。

「だめんず・うお~か~」の夢。それは「だめんず」の彼が、自分の献身的な愛で改心し、生活を改めて自分の愛に応えてくれる人間に変わることだ。ラスト・シーンでは、その「だめんず・うお~か~」の夢の実現がクライマックスになるのではないだろうか。

 つまり、最終回の桐野くんは「だめんず・うお~か~」の夢の具現化なのだ。

 実際の最終回には、赤ん坊の心停止というもう一つの山場が用意されていた。そして、クライマックスは赤ちゃんの退院の形になっていた。

 その一方で、私の予想したストーリーも、ちゃんと展開していた。まあ、もっとあからさまに二人のハッピー・エンドで終わると思っていたので、半分正解、くらいのものだろうか。

『十四才の母』、「だめんず」度、10点満点。
だめんず・うお~か~(1)
 今期のドラマでのマイ・ブームは、「だめんず・うお~か~」だ。

 ドラマじゃなくて、漫画。今期にドラマ化されたのがきっかけで漫画を読んで、その影響で、どのドラマも「だめんず」の視点で見てしまった。

 ということで、今期のドラマの「だめんず」度を勝手に診断。

 先ず、『僕の歩く道』。

 このドラマのヒロイン、松田都古ちゃんは、完璧な「だめんず・うお~か~」だな。若い開業医(獣医)と不倫の関係に。妻とは別れて君と結婚するという言葉が嘘なのが分かっていて、別れられない。

 ところがこの開業医の妻、この開業医と離婚してしまう。開業医、ふられたのは自分であるのを隠して、都古ちゃんのために妻を説得して別れたふりをして、都古ちゃんに求婚。

 まあ、騙されるわな。で、この開業医と結婚してしまうのだが、結婚してみて、前の奥さんが出て行った訳が分かる。この開業医、伴侶のことを少しも考えてやらない。24時間、自分のためだけに生きるロボットであることを要求する。力の暴力は使わないが、言葉の暴力で都古ちゃんをボロボロに打ちのめしていく。

 それでいて、都古ちゃんの友達の前では良い夫を演じたがる。まあ、見栄っ張りだな。

 それで、結局、この開業医、都古ちゃんにもふられてしまうのだが、そこでの都古ちゃんのセリフ。

「テルが私を必要としていたんじゃなくて、私がテルを必要としてるの」

 でも、これ、「だめんず」じゃないか?

 倉田さんによると、「だめんず」の一つのパターンは、「この人は私が居ないと駄目なの」という思いから、自分を必要としてくれていると思える相手をどんどん好きになってしまうというパターンらしい。

 都古ちゃんがテルを選んだのは、もしかすると、開業医よりも強く、そして純粋に都古ちゃんを必要としてくれているからじゃないだろうか。つまり、このドラマは、「だめんず・うお~か~」が、一人の「だめんず」から、次の「だめんず」へと移っていった話、ということになるんじゃないだろうか。

 断っておくが、私はドラマの質を問うている訳ではない。このドラマ自体は、私は好きだ。主人公のテルだけでなく、脇役の一人一人のキャラクターに優しい目が行き届いている。ラスト・シーン、テルと都古ちゃんが自転車で並んで去っていくシーンは、チャップリンの『モダン・タイムズ』のラスト・シーンを髣髴とさせて、ジンときた。

 でも、やっぱり都古ちゃんは「だめんず・うお~か~」だと思うんだよね。

『僕の歩く道』、「だめんず・うお~か~」度、8。
新刊予告『美猫の喘ぎ』(2)
 女性を責めて、乱れてくれるとこちらも昂奮する。これは事実。
私も実生活ではそうだ。

 でも、作品として書く場合、男の手練手管に屈服した女性を書く
よりも、抵抗している女性をじわじわと追い詰めていく描写を書い
ている時の方が昂奮する。それで作品も、そういう感じのものにな
ってくる。

 実は、もう一つ昂奮するシチュエーションがある。

 それは、仕掛けていく前。そ知らぬ顔で普通に話をしながら、そ
の実、虎視眈々と女性に襲い掛かる瞬間を狙っている。

 例えば、街の中のエア・ポケットのように人目の届かない一角を
見つける。すると、私はその近辺に足繁く通い、不自然でなく女性
をそのスポットに誘導するシナリオを何通りか作る。で、女の子を
デートに誘い、どれかのシナリオを使って女の子をそこに誘導して
いく。

 直前まで屈託の無い話を続けて、そのスポットに入った瞬間、強
引に彼女の顔を上に向けさせて唇を奪う。行動を起こす前の、私を
疑ってもいない安心しきった顔から、その瞬間の驚いた顔、あるい
は、不安そうな顔、そして直後の、少し欲情したうっとりした表情
へと変化していく。その表情の変化の一つ一つが、とても刺激的だ。

 若いころはそんなことばかりを考えていたし、そんなことばかり
をしていた。やはり、ちょっと性的嗜好に偏りがあったような気が
する。キスくらい普通にやればいいのに、変なこだわりがあった。

 ともあれ、今回はSMで同じことをしてみようと思った。安心し
きっている女性が、信頼している相手に突然組み伏せられ、あれよ
あれよと言う間に縛られ、責められる。

 紙数から言うとそんなに多くないが、書いている最中、結構昂奮
した。これからもこういう展開は、可能な限り入れていきたいと思
っている。